黒々と力強くうねる髪と髭、その間からギロリと鋭い眼光をのぞかせる滞在者がいる。
お城の病院の中でも最重度とされる滞在者で、発語から排泄にまで困難がある。
新しく入ったスタッフが、彼と意志疎通を図ろうとしては、困り果てる姿にも何度か出くわした。
しかし彼はアトリエ・レクチュールの常連のひとりでもある。
今思えば不思議だが、彼独特の切迫を目元に湛え、その口から放たれる「ウーウー」という訴えが「(車椅子を引いて、アトリエまで連れて行っておくれ)」であることは、ごく自然に伝わってきた。
このアトリエについては、ここでも何度かふれたが、文学作品から哲学書まで様々な一冊を参加者みんなで輪読するという極めてシンプルな会である。
彼は声を出して読むことはできないけれども、誰かが読む「声」にいつも熱心に耳を傾けている。
そうしてしばらくすると、普段は見せることのないうっとりとした表情を浮かべ、甘い眠りにふける。
何が彼をそこまで引き付けているのか。
そんなことを考えながら車を走らせていた帰り道、
この写真の風景に出会い、なにかを教えられた気持ちがした。
彼の母親は、大陸で作家として活躍する女性だ。
もう久しく顔を合わせることのないふたりだが、
この母親は、彼がまだ幼い頃、たくさんの本を読んで聞かせたのではないだろうか。
若い母親の声が幼な子を柔らかに包む、そんな日々があったのではないだろうか。
大地を優しくなでる光のように。