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Namiko HARUKI

本の上で結ばれる記憶

「ここでは、一見だれが治療者でだれが患者なのか見分けがつかない」


これは、お城の病院を説明するときに最も用いられることの多い表現かもしれない。実に的を射ていると思う。しかしそれは医師が白衣を着ていないというような表面的な問題ではない。そうではなく、分けること、判断することとは「別のところ」で展開する個と個の関わりを大切にしている、ということだと思う。


週に一度開催しているアトリエ・レクチュール。フランス文学の古典や病院の創始者のセミネールを輪読する会に参加するのは、滞在者だけではない。滞在者の家族や病院スタッフも同じように参加している。

お城に偶然に居合わせ者たちが、ただ本を囲むためだけに集う。強制的に割り当てられたプログラムでもなければ、事前の申込も、自己紹介すら存在しない。さらに言えば、文字を追うことが難しい状態であっても、毎回欠かさず参加する者たちも一定数いる。


あるフレーズに差し掛かった時、普段は終始突っ伏したままである年配の男性が、ふと顔を上げたことがあった。音読していた妻が、背中で彼の目の輝きを捉える。


「ドゥルーズの引用箇所だったかしら?」


そう彼女が訪ねると、彼は無言のまま、ゆっくりと頷く。光がさすような笑顔だ。

フランスの哲学者ジル・ドゥルーズのもとで博士論文を書き上げて以降、彼はこのお城の病院にいる。かつての哲学徒の横顔と、ラテン語教師としてほぼ半世紀にわたって彼を支え続けてきた彼女とが、本の上で美しい線を描いた瞬間だった。






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