先月末に亡くなった滞在者を偲ぶ会が開かれた。
会といっても、立派な案内がでることもなければ、受付もなく、そもそも正確な開始時間というものもない。みな普段着のまま、いつも通りの集まり方で、思いつくままに故人について語りあう。
故人は、半世紀以上をこのお城の病院で過ごしてきた。自ら前に出て主張することはないが、アトリエの鍵の管理から催し物の幹事まで、みなに頼まれれば「やれやれ、仕方ないな」といった具合に、いつも快く引き受けた。
おどけた様子で皺だらけの困り顔を肩にうずめる時、若い頃演劇で魅せたピエロの顔が透けてみえる気がした。
パリから会に駆けつけた弟が、哀悼の辞に芭蕉の句を寄せた。フランス語の中にたどたどしく織り込まれた「OKIYO, OKIYO 起きよ起きよ」が、赤子の泣き声のように響いた。